ドイツ・オーストリア(13)


少し間が空いてしまいましたが、ドイツ『ノイシュヴァンシュタイン城』をご紹介します。

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2010年11月18日(木)


▲『ノイシュヴァンシュタイン城


『ノイシュバンタイン城』のあるホーエンシュヴァンガウは、
白鳥のいる湖と森の緑が美しい小さな村になります。


幼年時代を『ホーエンシュヴァンガウ城』で過ごした
ルートヴィヒ2世が王に即位したのち、その崖の上に建てたのが
ノイシュヴァンシュタイン城』となります。


『ノイ』=新しい、『シュヴァン』=白鳥、『シュタイン』=ストーン
という意味で「新白鳥城」と呼ばれています。


ちなみに『シュヴァイン』は豚という意味だそうなので
読み間違いに注意ですねf^^;


さて。ノイシュヴァンシュタイン城へ行き方は3通り。


[1] 徒歩。山道の上りを片道40〜45分ほど。


[2] 馬車。片道20分+徒歩5分ほど。
  ▼


[3] バス。片道10分で、降りてから徒歩10分ほど。


我々は[3] で行きました。バスで行くのには利点があります。
[1] [2] とはルートが異なり、バス降りてすぐにある
マリエン橋より絶景の『ノイシュヴァンシュタイン城』を見ることができます(^^)


▼マリエン橋(ノイシュヴァンシュタイン城より撮影)


▼マリエン橋に向かう


▼マリエン橋より下を撮影。高いです(**)


▼マリエン橋からの『ノイシュヴァンシュタイン城


雪や道が凍るとすぐにバスの運行がストップしてしまうようで
また1時間に1本?くらいしか走っておらず
混雑していても乗ることが難しいため
乗ることができたのはラッキーでした。


向かう歩道からはホーエンシュヴァンガウの街並みを楽しむことができます。
▼黄色の建物が『ホーエンシュヴァンガウ城』




ルートヴィヒ2世は、1845年8月25日にニンフェンブルク城で生まれ
幼年時代、毎年ホーエンシュヴァンガウ城で過ごしました。


16歳のとき、ワーグナー作 歌劇「ローエングリン」を観劇し
ワーグナーに心酔するようになります。


1864年18歳のとき、父王の死によって若くして
第4代バイエルンルートヴィヒ2世として即位しました。


王になった後すぐに憧れていたワーグナーを宮廷に呼び招いたのですが
ワーグナーは政治にも口を出す大変敵の多い人物だったため
多くの家臣たちは快く思いませんでした。


結果、ルートヴィヒ2世は家臣の反対を受け入れ、
1865年12月、ワーグナーをスイスへと追放します。
それからというもの執務を嫌うようになります。


1867年22歳のとき、バイエルン公女ゾフィーと婚約を発表するも
わずか10ヶ月で解消。


度重なる政治混乱に、次第に政治に対する関心を失っていきました。
代わって豪華なお城の建築に力を入れるようになったのです。


その頃、プロイセン王国はドイツ統合を図っていました。
首相ビスマルクルートヴィヒ2世に統合を認めさせるのには苦労したそうですが
お城を造ってもよいという話をしサインさせたそうです。


その時ルートヴィヒ2世は10万タールという大金を受け取りましたが
全て築城に使ってしまいました。


フランスのヴェルサイユ宮殿を訪れたことをきっかけに
築城熱はさらにヒートアップします。
膨大な資金と資材を投入したため、借金と負債は増大していきました。


ついに家臣たちは廃位を計画し1886年6月12日、ルートヴィヒ2世
ノイシュヴァンシュタイン城で拘束し、ベルク城に幽閉しました。


しかし翌13日、付き添いの医師とともにシュタルンベルク湖畔で
水死体で発見されたのです。41歳でした。
ルートヴィヒ2世の死については未だに謎のままだそうです。



▼『ノイシュヴァンシュタイン城







いよいよ入場になりますが、入場はかなり近代的になっています。
▼写真右下に、時計と電光掲示板があるのはお分かりになりますでしょうか?


時間がくると電光掲示板にチケットの番号が表示され
電車の改札口のような改札機にチケットを通して中に入ります。
建物に入るとオーディオガイドを渡され(もちろん日本語も中国語もあります!)
見学がスタートとなります。


見学場所に行くと自動で音声ガイドが流れるようになっているようで
聞き終わると一斉に次の部屋へと移動させられます。
見学もきっちり時間が決められているような感じでした。


残念ながら中は写真撮影禁止のため、ご紹介できないのですが
とても広く、調度品にいたるまでそれはそれは豪華な造りでした。
調理場も大変立派で当時の最新の設備が入れられたそうで
温水の出る給水設備や自動回転式グリルまであったようです。
晩年のルートヴィヒ2世の体格の良さはこの調理場のおかげかもしれませんf^^;


人間嫌いとなってしまったルートヴィヒ2世は1875年以降は
ほとんど人前に出ることはなかったそうです。
この大きなお城に1人で過ごしていたと思うと
何だかとても悲しい感じがしました。


▼徒歩ルートより撮影



▼馬が山道をがんばって上ってます(^^)


ドイツはこちらが最後となります。ザルツブルクのホテルに宿泊し、
いよいよ明日からオーストリアの見学スタートです。

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