ドイツ・オーストリア(7)
今回は、ドイツ「ニュルンベルク」の街をご紹介します。
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2010年11月17日(水)
▲カイザーブルク城からの見た旧市街の街並み
「ニュルンベルク」は、「古城街道」沿いの
ローテンブルクより東に約110km、バスで約1時間30分程行ったところにあり、
旧市街を二重に城壁が取り囲む街です。
※「古城街道(Burgen Strasse)」:
ドイツのマンハイムからチェコのプラハまで延びる街道で
街道沿いにはブドウ畑の丘陵の風景の中に中世の街並みが点在し、
50余りの古城が存在します。
今回のツアーで行った唯一の、東ドイツだった場所です。
「ニュルンベルク」というと、「ニュルンベルク裁判」を
思い浮かべる方も多いかもしれません。 その通りで
第二次世界大戦においてナチス政権によって行われた戦争犯罪を裁く
国際軍事裁判が行なわれた街になります。
ニュルンベルクは、ナチス政権の象徴的な街でした。
そのため空爆の優先目標地で、街の約90%以上が爆撃で破壊されました。
復元も難しいほどの瓦礫の山と化しましたが、
中世の面影を残す旧市街が見事に復元され、美しい街並みとなっています。
▼「カイザーブルク城」 神聖ローマ帝国皇帝の居城の1つ
旧市街の北端の岩山の上に建ちます。1050年にハインリヒ3世が築城しました。
中世のニュルンベルクは、北ドイツと中部ドイツの交易路にあり
大商人の人たちでいっぱいでした。
16世紀まで多くの帝国議会の舞台となり、
皇帝の“一時的な”住まいとして造られました。
大きなお城ですが、一年のうち滞在するのはほんの数週間で
いない間は市民に管理を任せていたそうです。
しかしながら皇帝が一番よく訪れた街になります。
今回内部まで見る時間がありませんでしたが、
中に、二重構造となった礼拝堂があります。
皇帝と廷臣が上の礼拝堂を、召使いや従者たちは下の礼拝堂を使ったそうです。
お祈り場所も身分で分けられていたのですね。
▼こちらから見ると岩山に建っている様子が窺えます。
▼カイザーブルク城の入口、急坂を昇る前にあったビアガーデン
冬は閉じていますが、夏はいつも混んでいてなかなか入れないほど人気のお店だそうです。
上のブルーの丸い看板がビールの銘柄になります。
▼ビアガーデンの建物 上部
ほうきに乗った魔女ですかね?(^^)
▼市庁舎 立派な建物です
▼市庁舎 入口
▼市庁舎の中にあるお店の入口
▼「聖ゼーバルドゥス教会」 ニュルンベルクで最も古い13世紀の建築
▼「聖ゼーバルドゥス教会」 内部